DIARY
会話
土曜日の昼前は、初老のマスターが一人で経営する昔ながらの喫茶店でアイスオレを飲んで、隣にあるお弁当屋さんでお弁当を買って帰るのが習慣になっている。
アイスオレを飲んでいるとカウンター越しのマスターが唐突に、
マスター「サッカー日本代表のとき渋谷で騒いでるやつ、あれってどう思いますぅ?」
ぼく「まぁいいんじゃないですかねぇ、なにもないよりは」
マスター「ああいうのは好きですか?」
ぼく「やりたいとは思わないですけど笑」
マスター「そうですよねぇ笑」
マスター「あれってなんで渋谷なんですかねぇ?」
ぼく「意味なんてないんじゃないですかねぇ」
マスター「ははは」
ここでマスターは仕事に戻って、会話は終わった。
マスターとぼくの二人しかいない喫茶店の静けさのおかげで、気づかないうちにこんなつまらない会話をしてしまっている自分に気づかされた。仕事のような手短さで他愛もない会話が他愛もなく終わってしまったことに反省しながらこの日記を書いている。
渋谷で騒いでることを支持したのも、渋谷であることに「意味がない」のも、どちらもマスターの予想に反して変な回答だったに違いない。共感する唯一「やりたいとは思えない」という意見だけが正解の応答で、マスターが笑ってくれた。
仕事のような迷いを生まないコミュニケーションは日常に持ち込むとひとから敬遠されてしまうというといったマナーがあるのはもちろんわかってはいたが、それが実際どういうことなのかを理解できたのは初めての経験だったかもしれない。仕事のコミュニケーションと日常のコミュニケーションは、意義や目的から全く異なるんだなと気付かされた。
思い返してみると、マスターとほかのお客さんが話しているときも、やれあのドラマのあの役者はどうだとか、競馬の話や、どこどこの息子さんが帰省してどうだの、どれも結論を求められないトピックだったな。
つぎ「なんで渋谷なんですかねぇ」って聞かれたら、今度はなんて答えようかなぁ。むずくない?